理想を叶えたいなら結局「やり遂げる」って腹くくるしかない

メンタル死んでました。薫です。

ここのところ「もうこの世界から消えたい」「いなくなりたい」と思うレベルでメンタルがヘラっていたのですが、

改めて大好きな「少女革命ウテナ」を見直して勇気付けられ、

どうにかメンタルが回復し今に至ります。

今日のブログはそんな私のただの独り言です。

生きるのしんどい。

仕事がしんどい。

前回の記事でも書いたけれども、ほんと、店長になってから仕事がしんどい。

理想と現実〜「好きなものに囲まれて暮らす」は難しい〜

純粋に仕事が多かったり労働時間が長かったり難しい仕事が多かったりまぁ色々あるんだけど、何より人間関係がしんどい。

人生に立ちはだかるトラブルは自分を成長させるためのもので、課題をクリアしない限り何度でも「再配達」されるというけれど、まさに

その「再配達」がまた来ちゃったなぁ〜〜〜〜

という感じ。

無邪気に他人のものを「搾取」しようとする人たち

「人が努力して得たもの」を無邪気に搾取、横取りしようとしてくる人たちがいます。

彼らはどうやら「持つ者は持たざる者(=自分)に優しくあるべきだ」という幻想を信じていて、

持つ者がそちらから「どうぞ受け取ってください」と言ってこないと不満すら感じるみたい。

「助けてもらって当たり前」な態度で感謝の気持ちが薄く、助けてもらえない・優しくしてもらえないと簡単に人を恨む。

私の偏見だけど、こういうタイプの労働者は

「自分は一生懸命がんばっている」

「仕事がうまくいかないのは上司・先輩がちゃんとサポートしてくれないせい」

「本当はこんな仕事したくない、自分にはもっと輝ける場所があるはずなのに」

などと本気で思っていることが多いです。

彼らはストレス耐性がなく、自分が傷付いたら「パワハラ」と叫ぶことを厭わないし、

「持つ者(この場合は上司や先輩、仕事のできる同僚)」が自分の望む行動をしてくれない場合、「器が小さい」「上司失格」などとレッテルを貼って相手の自信を失わせたり、それによって相手をコントロールしようとしたりする。

弱者救済を謳うハラスメントに敏感なこの世の中でなんとまぁ「持つ者」の立場とは苦しいものですね。

「持たざる者」ーーー「弱者である」、ということは現代では一種の権力なんじゃないかとすら思うくらいに。

金持ちだろうと権力者だろうと、自分の立場を利用して相手に無理強いをする行動はダサい。

尊大な弱者たちは自分達がそんな「いけ好かない強者」と同じ方法で他人を揺すっていることに気付いているのかな?

「俺たちは持っていないんだから分け与えろ」ーーーーそう自分が弱者であることを開き直って要求を通そうとする「尊大な弱者」が多いなぁ、と思います。

持っているものを分け与えないのは「ずるい」?

ある日職場のスタッフから言われたんですよ、「薫さんは意地悪だ」って。

えっどういうこと?と思って話を聞いてみたら、「自分の持っている知識や情報を教えようとしてくれない」と。

言っておくけど私は質問されたことを意地悪で教えないような底意地の悪い人間ではないんですよね。

私は知的好奇心旺盛で、語学、料理、PCスキル、アロマテラピーなどなど、自分の興味が湧いた分野は浅く広く手を出して、取れそうな資格は取ってみたりもしているわけですが、

彼女はそれを「なんで教えようとしてくれないんですか!」と憤っているわけです。

「持つものは持たざる者に分け与えて当然」という宗教を信仰している彼女の目には、

得た知識を自分のものとして独占し職場で使用している私はさぞ意地悪な人間に映ったことでしょう。

こっちとしては、仕事に必須の知識で業務に支障が出ていない限り質問されてもいない+αの知識を分け与える義理はないし、

それに自分がプライベートの時間、労力、金銭を支払って得たものを他人に無償で分け与えるかどうかは完全に私の「好意」の問題なので、

それを「意地悪だ」とか「ずるい」とか言われても困っちゃうんですよね。

隣の芝が青く見えたり隣の果実が赤く見えたり、

そしてそれを自分も手に入れたいと思ったり、持っている人を妬んじゃったり。

そう言う気持ちを抱いてしまうのは人間である以上自然なことだし、仕方ないものだと理解しているのですが、

「善意でよこせ!」と強要するのはいただけない。

「欲しがるなら自分も手汚せば?」

とか私は思っちゃうんですけど、そういう人たちってストレス耐性が非常に低くて

自分の心を守るために「嫌なこと」「痛みを感じること」は一切受け入れないようにしていたりするんですよね。

手に入れるための試行錯誤や、その過程の苦痛は味わいたくない、みたいな。

もちろん傷付くのは辛いし、理不尽な痛みからは逃げていいと思うんですけど、

もしかしたらそれは「成長痛」かもしれないのに、痛みだからと全て切り捨てるのはもったいないなぁと思ったり。

そんなことしていても、欲しいものを手に入れるどころか自分の人生がルサンチマンに囚われた虚しいものになってしまうだけなのにね。

ルサンチマン ressentiment(仏)

怨恨または復讐感情と訳される。弱者はその弱さゆえに強者に対する不満や憎悪をストレートに表出することができないために,内攻的に欝積した不満や憎悪は,強者に対する怨恨ないし復讐願望となって意識下に抑圧されている。

世界大百科事典 第2版の解説

理想を叶えたいなら選択肢は「する」か「しない」かの2択。

「したい」と思っているだけじゃ夢は叶わない

夢とか目標とか理想とか実現したければ、選択肢は「するか/しないか」の2択しかないんですよね。

「したい」と思ってるだけじゃそれは妄想や空想でしかないわけで。

「したい」と願望を抱いているだけで立ち止まってるワナビーが手に入れた人に対して嫉妬しても現実は動かない。

その「理想を実現したい」という気持ちを空想や妄想(=ファンタジー)から「ヴィジョン」に変えるにはやっぱり何かしら「する」、どんなに小さなことでも「行動を起こす」しかないと思ってます。

「手に入れる努力をしないんだったらせめて持っている人を憎みたくない、今自分が持っているもので充足したい」

「どうしても手に入れたいものは手に入れるだけの行動を起こしたい」、

それが今の私の美意識なので、最期くたばる瞬間までは今自分ができることを積み重ねていきたいなぁと思います。

その過程でやっぱり妬まれたり憎まれたりしていくんだろうけど、そのリスクすら受け入れて突き進む覚悟を極めろ!ということなのかなぁと今回のことで思いました。

他人に何を言われようと、絶対自分の生きたいように生きるんだ。

おわりに:何を選んで何を選ばないか決めるのは自分

私、ずっと自分は理想主義のロマンチストなのだと思っていたんですけど、

もしかしたらとんでもなく現実主義者なのかもしれないですね。

きっと世の中には私の想像の範囲外の「やりたいと思ってもできない人」がいて、私の言葉は彼らにとってあくまで強者の理屈かもしれないんだけど、

でもね、それでもせめて誰かを妬むよりは今自分ができることをしたいよね。

やっぱり、理想と現実の間隙を撃ち抜く瞬間こそ人生の醍醐味だと思うから。

とはいえ、「理想の体型を手に入れたい」「一切我慢せず好きなものを好きなだけ食べたい」「運動はできる限りしたくない」なんていう矛盾した願いもあって、

本当はどれを選びたいんだ自分〜〜〜〜〜なんて頭を抱えたりもしているんですけど。笑

自分にとって何が幸せか、自分のことなのに、難しい。

いつかそれがわかる素敵な大人になりたいなぁと願うばかりです。

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